日誌

3.11を忘れない 合掌

  数多くの尊い命が失われ、未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、今日で4年を迎えます。大震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表すため、地震発生時刻の14時46分に全員で黙祷を捧げました。下校集会では、校長より下記のことをお話ししました。

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 平成23年3月11日午後2時46分、福島県沖を震源とする巨大地震が、東北地方(東日本)を襲いました。今日は、東日本大震災から4年目の日です。
 当時、校長先生は、棚倉町の小学校で子どもたちや先生方とその大きな地震を経験しました。校庭に避難しましたが、地面が大きく揺れ、立っていることができませんでした。校舎が歪みながらゆさゆさと揺れ、泣き出す子どもたちを励ましながらいたことを今でも鮮明に覚えています。幸いにも子どもたちや先生方、地域の方々の中にけがをした人や命を落とした人はいませんでしたが、沿岸部では、大きな地震の揺れにより、今まで経験したこともない大きな大きな津波が襲い、多くの人の命が奪われました。
 東日本大震災の地震と津波で亡くなられた方は15,891人、行方不明者は2,584人。矢祭町の人口が6,203人ですから、矢祭町に住んでいる人の約3倍近い人々の尊い命が奪われました。また、震災孤児(お父さんやお母さんが亡くなってひとりぼっちになった子)は、1,698人もいます。
 みなさんが住む福島県は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、今なお、風評被害や汚染水の問題等があります。福島第一原子力発電所では、事故の収束のため、毎日7千人の以上の方々が命の危険を顧みず働いてくださっています。福島県は、事故の収束や復興に向け、これからいろいろな面で頑張っていかなければなりません。誰かがやってくれるだろうではないのです。自分が、福島県や矢祭町、日本の未来をつくっていくんだ!という心構えで勉強や運動に一生懸命打ち込んでいかなければなりません。
 生きたくても生きられなかった子どもたちがたくさんいます。また、先程お話した震災孤児の子どもたちは、お父さんやお母さんに甘えたくても、もう甘えることはできないのです。辛く悲しい思いをしながら、一生懸命生きています。みなさんは、その子たちに恥じない生き方をしなくてはなりません。
 みなさんは、毎日何時間も時間を決めずにゲームをやっていたり、テレビを見て一日過ごしていたりしてよいのでしょうか。今やるべきこと、頑張らなくてはならないこと、それらをしっかりとやり遂げていくことが、今みなさんがやらなくてはならないこと、しなければならないことです。
 どうか、生きたくても生きられなかった人、親を亡くし悲しい思いをしている子どもたちがいることを心に留め、一人一人が、亡くなられた方や悲しい思いをしている人に恥じない生き方をして欲しいと思います。それが福島県の復興、矢祭町や日本の未来につながると校長先生は信じています。
 今日は、たくさんの人の尊い命が失われ、たくさんの悲しみで覆われた日です。心静かに亡くなられた方々のご冥福をお祈りしましょう。

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