日誌

2015年12月の記事一覧

思い出の十大ニュース・・・第1位

 思い出の十大ニュース、第1位は、もちろん
「雨ニモ負ケズ・・・春季大運動会大成功!」
です。
 数日前から天気予報とにらめっこ。当日朝も、入念に「雨雲レーダー」の動きをチェックして「これならやれる」、PTA会長も「やりましょう」と後押ししていただき、町内他校に先駆けて真っ先に花火を打ち上げ、「戦闘開始」。早朝より集まっていただいた保護者の皆さんも、雨の中、黙々と準備を進め、いよいよ開会式となり、入場行進が始まりましたが、一向に雨はやまず、むしろ応援合戦のころには激しく降ってきて、もうそろそろ雨雲は通り抜けるはず、とは思いましたが、心中穏やかではいられませんでした。「竜神よ鎮まり給え、雨よ止めかし」と念じて頻りでしたが、子供たちはすこぶる元気で、どの子もやる気満々、気が付くといつの間にか雨はあがり、校庭には歓声をあげて走り回る子供たちの姿が・・・。竜神をも動かす下関っ子のパワーに大人たちも元気づけられ、久しぶりに復活した「下関ダービー」や「消防団による操法リレー」、区対抗の玉入れや綱引きと熱の入った演技が続き、運動会の華「鼓笛パレード」や下関名物「一輪車競技」でさらに盛り上がりを見せ、閉校記念春季大運動会は大成功を遂げることができました。お集まりいただいたご来賓、地域の皆様、保護者の皆様、ボランティアとして活躍してくれた中学生の皆さん、本当にありがとうございました。


思い出の十大ニュース、第1位は「春季大運動会だよ、全員集合!」の巻

思い出の十大ニュース、第2位

 思い出の十大ニュース、第2位は
「感動の『赤い屋根の家』~郡音楽祭」
でした。
 全校児童(1年生から6年生までの33名)で参加した郡音楽祭。一学期から練習に取り組み、夏休み中も、朝から陸上→合唱→水泳と活動してきた子供たち。棚倉町文化センターのステージで、心をひとつに「赤い屋根の家」を歌い上げました。
 しかし、練習ではなかなか「こころをひとつに」というわけにはいきませんでした。6年生にとっては、いろいろな意味で「今年で最後」となる音楽祭、自然と意気込みというか力が入ります。でも合唱は6年生だけではできない、低中学年の子供たちにも参加してもらわないと合唱になりません。当然のことですが、1年生などは「郡音楽祭のステージに立つ」という意味がわからず、練習中も横を向いたり手わすらをしたりおしゃべりをしたりと、なかなか集中できない場面がありました。それでも、先生方が根気強く指導し、高学年が模範となってそれに応え、その姿を見て下の子たちも徐々に気持ちを強くしていってくれたのです。大会の前には、私も「下関小にとって今年で最後の音楽祭、皆さんが下関小最後の児童、こころをひとつにして歌いましょう」と全校児童に呼びかけ、棚倉町文化センターのステージに送り出しました。
 当日、会場後方でビデオカメラを回しながら子供たちの演奏を見ていると、どの子も、真っ黒に日焼けした顔で、元気に、笑顔で、堂々と歌っているではありませんか。その「こころをひとつに」歌う様子に、自然と涙があふれてきました。あの時の感動は今も鮮明に思い出されます。

審査員の先生からも「とても音楽的、小学生にはなかなかできない演奏」という講評(好評&高評)をいただきました。

ひとつだけでは多すぎる~思い出の・・番外編

 思い出の十大ニュースは、ちょっと一息入れて・・・
 私がよく先生方に話していることに、「ひとつだけでは多すぎる」という話があります。それは、教師が身につけるべき指導法のことです。〇〇学習、〇〇指導など、様々な指導方法(学習方法)がありますが(これからの主流はアクティブ・ラーニングでしょうね)、教師が身につけなければならない指導方法は、ひとつだけでは多すぎる、という話です。ちょっと逆説的は表現ですが、これは外山滋比古氏の「思考の整理学」(東大で最も読まれた本として有名)からヒントを得ました。

 外山滋比古氏「思考の整理学」から少し引用します。
 アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、「ひとりでは多すぎる。ひとりでは、すべてを奪ってしまう」ということを書いている。ここの「ひとり」とは恋人のこと。 相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくて、すべての秩序を崩してしまう、というのである。 着想、思考についても、ほぼ、同じ事が言える。「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。
 この一筋につらなる、ということばがある。いかにも純一、ひたむきで、はた目にも美しい生き方のようであるけれども、かならずしも豊饒な実りを約束するとはかぎらない。いくつかの筋とそれぞれにかかわりをもって生きてこそ、やがて網がしぼられ、ライフワークのような収穫期を迎えることができる。
 

 引用が長くなってしまいました。話を指導方法に戻しますと・・・
 子供たちに身につけさせい「学力」、一口に「学力」といっても様々な要素があります。知識、技能、思考力、表現力、判断力・・・。万病に効く万能薬がないように、これらの学力の要素をすべて伸ばす万能な指導方法など存在しないのです。ですから、「ぼくは〇〇指導で授業をしています」という先生は、盲目的に(おっと失礼)学力のある部分だけを指導していることになる。まさに、教師が身につけるべき指導法は「ひとつだけでは多すぎる」のです。

 さて、私は、同じことを子供たちにも伝えたい。勿論、小中学生にこういう逆説的な表現は難しいので、次のようなクイズを出しています。
 「部屋から出ていこうとしたら、ドアが押しても引いても開きません。皆さんなら、どうしますか?」
 ヒントとして、また、子供たちに興味を持ってもらうために、次の話を加えます。
 「もし織田信長なら、ドアを蹴破って出ていくでしょうね。でも、それでは後始末が大変だし、周囲にも迷惑です。」
 「徳川家康だったら、誰かが気付いて外から開けてくれるまで、待つかもしれませんね。でも、いつでも誰かが必ず開けてくれるとは限りません。」
 「もちろん、明智光秀のように、押しても引いても開かないときは、左右上下いろいろ工夫してみるのも大切ですね。でも、それでも開かないときは?」
 さあ、皆さんなら、どうします?
 そこで、子供たちに伝えたいのは、豊臣秀吉流の生き方です。おそらく秀吉ならば、いろいろ工夫したうえで、それでもドアが開かないときは・・・、そのドアに固執せず、さっさと別のドアを探すと思います。問題の解決方法は、「ひとつだけでは多すぎる」のです。
 子供たちが、将来必ずぶつかるであろう難問に出会ったとき、(例えば「いじめ」や「失恋」などです)、その解決をひとつだけのドア(しかも思いつめた極端な!)に求めるのではなく、他にもドアはたくさんある、もしそれが見つからないときには、親や先生など、身近な大人に相談してほしい。このメッセージを子供たちに伝えることは、わたしたち大人の責任だと思います。子供の不幸な出来事を繰り返させないために・・・。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

思い出の十大ニュース、特別篇

 下関小の教育活動を振り返るにあたって、忘れてはならないのが、地域の皆様方のご支援です。本校では、ほぼ日常的に、大なり小なり何かの形で地域の皆様方のお世話になっております。特別講師として、授業で、子供たちにご指導いただくこともたくさんあります。今年一年だけを振り返っても、一輪車教室、交通安全教室、食育指導、歯科指導、エアロビクス教室、着衣水泳教室、おやきづくり、わら細工、図工ののこぎりの指導、陶芸教室、つつじぞめ体験、裁縫教室、etc・・・。
 特に、片野要作先生には15年間書写のご指導をいただき、また、本多森雄先生には13年間図画のご指導をいただきました。今年、その最後の授業を終えるにあたっては、誠に感慨無量のものがありました。本多森雄先生には、図画の指導を通して夢を持つことの大切さや豊かな創造性を学ばせていただきました。片野要作先生には、書写の指導を通して書の形だけでなく、心の形を学ばせていただきました。お二人とも、その筆先は何よりも雄弁に人としてのありようを子供たちに解き明かしてくれました。いいえ、子供たちばかりではありません。先生方も、校長のわたくしも、多くのことを学ばせていただきました。
 今は、只々、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

「字はバランスが大事だよ」「よし、そこでしっかりとめて」「長江の流れも1滴の水から始まる。1つ1つの基本をしっかり身につけること」・・・心の形、人としての姿を教えていただいた、片野要作先生。

 既成概念にとらわれることなく、自由に、のびのびと表現することを通して、夢や創造性のすばらしさ、柔軟な発想や生き方などを教えていただいた、本多森雄先生。

 下関小のお家芸ともいえる一輪車、毎年、その一輪車の様々な技をご指導いただき、子供たちのチャレンジ精神に火をつけていただいた新田正恵先生。

思い出の十大ニュース、第3位

思い出の十大ニュース、第3位は
「感動の、ザ・ラスト・佳老祭!」
でした。
今年は、観客の皆様にもインタビューや掛け声や合唱にご協力いただく、見る佳老祭から参加する佳老祭へと趣向を凝らしました。会場の皆様全員に参加していただき、下関小最後となる佳老祭を盛り上げていただきましたこと、心から御礼申し上げます。
最後は、下関小の思い出を込めながら会場の皆様と一緒に「ふるさと」を合唱しました。